<インタビュー>「人生は終わった」と思った17歳が、再び前を向くまで

公開日 2026.07.14 更新日 2026.07.14 #インタビュー#記事

IWATA PROJECT Interview Vol.1

元プロ野球選手 岩田 稔さん(前編)


17歳で1型糖尿病を発症された当時、岩田さんは「人生は終わった」と感じるほど、大きな衝撃を受けられたといいます。
野球や将来、結婚などについても、諦めなければならないのではないかと考えられました。
そこからどのようにして再び前を向けるようになられたのでしょうか。
主治医や看護師の皆さま、そして同じ1型糖尿病をもつ方との出会いをたどります。

診断直後、「人生は終わった」と思った

Q.1型糖尿病と診断されたとき、最初にどんなことを感じましたか。

【岩田さん】

正直、「自分の人生は終わった」と、それほどの絶望感がありました。
糖尿病という言葉は知っていましたが、学校の授業では生活習慣病と聞いていたので、「なんで17歳の自分が?」という感じでした。
生活習慣は乱れていないし、高校生なのでお酒などでの暴飲暴食もしていません。

Q.「人生は終わった」という言葉はとても印象的ですね。

【岩田さん】

まず、「もう野球ができない」と思いました。
「病」という言葉がついているので、一生ベッドの上で生活しなければいけないというマイナスイメージを持ちました。
「結婚はできへんのかな」「子どももあかんのかな」とも考えるようにもなりました。

主治医の言葉が、最初の希望になった

Q. では、人生が終わったわけではないと思えるようになったきっかけは何でしょうか。

【岩田さん】

主治医の先生がすごく前向きだったことですね。
「野球をあきらめなくていい」と言ってくださって、「過去にこういう野球選手がいるから、参考にしてみて」と、ビル・ガリクソンの本を紹介してくれました。
それを読んで、糖尿病でも野球ができるということを初めて知りました。
「血糖管理さえしていれば何でもできる」と書いてあったので、「それなら俺も野球ができるかも」と思いました。
ガリクソンの存在は一番大きな励みになりましたね。

Q.やはり、野球ができるということに気持ちが高まりましたか。

【岩田さん】

そうですね。
小学校から好きな野球を続けていて、しかも甲子園という目標が目の前にきたところで発症したので、野球を奪われることにものすごく恐怖を感じていました。
だから、自分では無理だと思っていた野球がまだできるということを伝えていただけて、かなり前向きになれました。

Q.ご入院されたときのお医者さんや看護師さんとの関りで、特に印象に残っていることは何ですか。

【岩田さん】

接してくれた看護師さんがとにかく明るかったことです。
年上のお姉さんのような感覚で他愛もない会話をしながら、治療のことや食事の大事さなどを教えてくれました。
そのことはかなりプラスになりましたね。

Q.周りの方、特に主治医の先生や医療スタッフとの関わりの中で、印象に残っている言葉やサポートを教えてください。

【岩田さん】

主治医の先生に大阪桐蔭高校でやっている練習方法などを全部伝えたら、「これは食事制限なんて言っているレベルじゃないから、ガンガン食べなさい」と言われました。
やはり制限という言葉が一番嫌なので、とても助かりました。
練習量に対して食事量のバランスが取れていないと体を作ることもできないし、入院時は体重を落ちていたので、体調を戻していくためにも食べないといけない状況でした。
しっかり食べられるようにインスリンの量などを先生が計算してくれました。

月1回の診察はいまも継続していて、そこでは、主治医の先生も看護師さんも世間話をするかのように接してくれます。
コミュニケーションが取れて、家に帰ってきたような感覚になるんですよ。
「何かあったら、またここに戻ってきたらいいんだ」と感じられます。
そういう環境づくりがしっかりしていた病院だったので、とてもよかったですね。

同じ病気の仲間の存在が、前向きさを強くした

Q.患者会のようなものには入っていましたか。

【岩田さん】

僕が発症した時点でそういう会もあったのかもしれないですが、参加はしていません。
周りには同い年くらいの子もいなくて、相談できる相手は誰もいなかったので、「どうしよう」と思っていました。
その時に、エアロビクスの世界チャンピオンになった大村くんがテレビで取り上げられていたんです。
同じ病気で同じ年頃の人を初めて知りました。
彼は熊本出身で僕の田舎も熊本なので、親戚を頼って会えるようにしてもらいました。

Q.大村さんの「糖尿病を個性の一つとして見ている」という言葉がありますが、岩田さんにとってずいぶん支えになりましたか。

【岩田さん】

今までにない感覚でした。
同じ病気で同じ年頃の人が、アスリートとして世界を取っているわけです。
「すげえな」という尊敬の言葉しかありません。大村くんには負けられないと、勝手にライバル視していました。

彼は初めて会ったときから発言がとても前向きだったんですよね。大村くんと出会ってから、どうしたらいまの自分を受け入れられるかなど、結構前向きに考えるようになりました。
だから、人との出会いはすごく大事なんだとその時に感じました。

補食も説明も、周囲に理解してもらう難しさがあった

Q.周囲の反応でつらいと感じたことはありますか。

【岩田さん】

つらかったことは特にないのですが……。
高校の寮に戻ってから、みんなの前で病気のことや低血糖の症状を伝え、「冷や汗が出たり、震えていたり、変な言動を発したりしていたら、甘いものを口に入れてほしい」とお願いしました。
でも、僕が練習中のベンチ裏で、一人で補食をしていると「お前何サボってんねん」と、平気で言ってくる人はたくさんいました。
同じチームメートでもなかなか理解してもらえないのは、つらいと言えばつらいかもしれないですね。

Q.偏見のような反応に困ったことはありましたか。

【岩田さん】

プロ野球選手として活動するようになると、多くの方と触れ合う機会も増えます。
外でご飯を食べていたら、酔っ払った方が「糖尿病って、暴飲暴食してたんやろ」と言ってくることがあります。
酔っているときに言う見方は、その人に潜在的にあるということでしょう。
そのたびに「いえいえ、違いますよ」と冷静に返していますが、そうやって正しいことを伝えていくのも、僕のやるべき活動の一つなのだろうという感じはしています。

前向きになる力の源は、「好き」をあきらめないこと

Q.日常生活が変わってしまうことにネガティブな気持ちになる方も多いと思いますが、「そこまで変わらない」と思うためには、どんなモチベーションが必要だと思いますか。

【岩田さん】

何がモチベーションになるかは人それぞれなので難しいところはあるのですが、「何が好きか」をイメージできるといいのではないでしょうか。
食べることが好き、遊ぶことが好き、ゲームすることが好き、映画を見ることが好き……そういった「好き」を実現するために、1型糖尿病という状況でどうしたらいいのかを考えていくと、すごくプラスに動いていきます。
マイナス思考になってしまっているときにはそういうイメージができないので、その期間に自分の「好き」を考え続けるんです。
それを見つけられたら、状況を受け入れられるようになるのも早いのではないでしょうか。

周りの人たちがその人の「好き」を引き出してあげて、それが実現できるというビジョンを示してあげることも、モチベーションを高める上で重要かと思います。


◇編集部より◇

「人生は終わった」とまで感じた17歳の頃から、少しずつ前を向けるようになるまで――。
今回のお話からは、岩田さんにとって、人との出会いや周囲の支えがどれほど大きな意味を持っていたのかが伝わってきました。

1型糖尿病と向き合う中では、不安や戸惑いだけでなく、周囲に理解してもらう難しさもあったはずです。
それでも、「好きなことをあきらめない」という思いを持ち続けてこられた岩田さんの言葉には、多くの方の背中を押す力があると感じます。

次回の第2弾・後編では、1型糖尿病とともに歩みながら競技を続けてきた日々や、いま岩田さんが伝えたいことをさらに深くご紹介します。
どうぞ引き続きご覧ください。

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